新年のご挨拶 2025
新年のご挨拶 2025 遅くなりましたが、新年のご挨拶です。昨年も皆様お世話になり、ありがとうございました。そして図々しくも、本年も何卒よろしくお願い致します。 昨年も、供給量過多な方針は近年に引き続き、本業である生演奏ライブを159本(中止もなく)やれました。ご来場戴いた皆様、会場運営の皆様、共演戴いた皆様に改めて感謝申し上げます。そして、まだ情報の発表段階にはありませんが、スタジオでのレコーディング及び諸々制作事も進行中です。そちらもどうぞご期待下さい。 さて、新年を迎えて私の頭の中に沸いてきたのは「リラックス」という言葉でした。 まず、ここ数年は1週間程度のまとまった休み(何も約束事のない日)がなかったなぁという事も、カレンダーを振り返ると思い出されます。10年程前だったかに公言した「ギターを弾く」だけを仕事にしたい、という夢が実現に近づきつつも、自営であるが故、ささやか(に見えてると推測)ながらの諸々雑務(計画、連絡、約束、準備、広報、移動、反省等)にも時間や気持ちが追われる事もしばしば。 加えて、とはいえ1日のうちのギターを弾く時間といえば、毎日8時間労働をされてる方から見ればそれは知れたもので、余白の時間は大いに獲得できているのも事実。ですが、この歳になり己の腕力や知恵(+経済力も)が強くはない自覚がある以上、それでも生きていくために、日々の余白の時間に時事・社会情勢のチェックも欠かせず、それらは相変わらず心癒してくれるはずもなく、何なら、私が属する「人類」の、未来への希望のともしびが強風に吹かれまくっているやに見える出来事も多く、心蝕まれたりしてもおります(具体的な話題はこの場では割愛させて頂きます)。 そしてよく見ると私の中(胸のあたりか)の、私を運転する運転手が運転席でいつも軽く尻を浮かせた半座り状態で私を運転している、のが新年(に沸いて来た「リラックス」という言葉と共)に発覚。これは早めに何らかの対策が必要だ、と思うに至りながら、1/7朝、この文章をまとめ上げるのに焦っております、またしても。 なもので、コロナ禍に際した私なりの発案企画の"長文 新年の挨拶 (since2021)"でしたが、遂に年賀状のやり取りも完全0枚になった2025本年をもって終了、の可能性を来新年に向けて検討に入らせて頂く事をお赦し下さい。 そしてともあ...